山月記と人虎伝
結論
ここまでに見て来た事柄の中で、
主な点をまとめてみようと思う。
第二章
李徴が閑居した理由
人虎伝=記述なし
山月記=詩人を志した
李徴の苦悩、心を狂わせた理由
人虎伝=記述なし
山月記=鈍物の下命に傷ついた自尊心
山月記では、詩人としての自負とそれに反して下吏となって傷ついた自尊心が
話題の中心である。
人虎伝には、これらに関しての記述は全くない。
山月記の李徴の葛藤は
「近代人の苦悩=自らの意志によって人生を決することの苦しみ」である。
李徴の苦悩はまぎれもなく近代的自我による相剋によるものであり、「芸術の道で生きるのか、妻子の生活を守るのか」を選択する際に生ずる葛藤であることを示している、と言える。
第十一章
妻子の今後についての依頼
人虎伝=物語の中盤
山月記=物語の終盤
山月記では妻子を想う気持ちの強さを表現
=虎になって初めて李徴が得た人間性を強調
第十三章
李徴の詩について
人虎伝=李徴の詩の質の高さにのみ言及
山月記=李徴の詩に欠ける点を指摘
山月記では李徴が虎になった理由の一つ「人間性の欠如」を示唆している
「詩」という芸術に表れる人間性に着目=芸術家の苦悩が主題になっている
第十五章
虎になってしまった理由
人虎伝=未亡人との密通とその家人を殺戮したこと
山月記=「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」
総論
近代小説「山月記」の主人公・李徴の苦悩と原典「人虎伝」の主人公、封建時代の人物のそれとには、確たる差がある。
「山月記」の李徴の苦悩は、「詩」という芸術に表れるはずの人間性(第十三章)・・・妻子を想う強い気持ちや、他人を思いやる温かい心・・・などの人間性の欠如に起因する苦悩である。(第十一章)
その人間性の欠落から生ずる芸術家の苦悩、内面の葛藤(第十五章)は自らの意志によって人生を決することの苦しみ、つまり近代人の苦悩そのものであり(第二章)そのことに焦点をあてた「山月記」はまぎれもない近代小説であって、これら苦悩の本質の相違こそが、古典「人虎伝」とは決定的に異なる要素である。
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瑞西在住日本文学研究
国語教師 岩淵重之 識す